プロフィール
 生年月日  1973年8月19日
 出身地  レッチェ
 国籍  イタリア
 身長・体重  193cm 92kg
 ポジション  セントラル・ディフェンダー
 ニックネーム  マトリックス
キャリア
 1990-91  メッシーナ
 1991-92  トール・デ・クイント
 1992-93  トール・デ・クイント
 1993-94  マルサラ
 1994-95  トラパーニ
 1995-96  ペルージア
 1996-97  カルピ
 1997-98  ペルージア
 1998-99  エヴァートン
 1999-00  ペルージア
 2000-01  インテル
 2001-02  インテル
 2002-03  インテル
 2003-04  インテル
 2004-05  インテル
 2005-06  インテル
 2006-07  インテル
マルコ・マテラッツィ
体格を生かした空中戦の強さと、ディフェンダーらしからぬキックの精度を誇るイタリア有数のディフェンダー。しばしばその攻撃的な性格が話題になるが、ピッチの外では他人に気を配ったり、人種差別に断固として抗議する人格者としても評価されている。

父親はラツィオの監督も務めたことのあるジュゼッペ・マテラッツィ。マルコの母親は幼い頃に他界しているが、その際すぐに父親が再婚したことで反抗的な成長期を送る。彼のキャリアはアマチュアクラブからスタートする。ペルージア在籍時にそれまでディフェンダーが1シーズンに決めたゴール記録を更新し(12ゴール)、一躍ビッグクラブにフォーカスされる存在となった。

マルコが移籍したのは、ペルージア在籍時から憧れていたインテル。そのインテルでも毎シーズン目立つ活躍を続け、各国のスターが集まるこのクラブでも、今やカピターノと人気を二分するまでの存在に上り詰めている。

彼が世界的に名を知らしめたのは2006年のワールドカップ決勝戦。ジダンを挑発して頭突きを受け、この元バロンドーラーを引退試合で退場させた時だった。試合後にはジダンの母親までもがマスコミにコメントを寄せていたが、それに対してマルコの父親ジュゼッペが「オレの息子じゃなくてジダンの方が悪い!」と反論している。

意外なことに、お酒は全く飲めない。子供たちを愛する素晴らしい父親としても有名である(ちなみに長男はミラニスタを宣言しているらしい・・・)。チームでお祭りごとがあると必ず真っ先にはしゃぐ姿で、チームメイトもインテリスタも温かい気持ちになることが出来る。

プロフィール
 生年月日  1973年8月10日
 出身地  ブエノスアイレス
 国籍  アルゼンチン
 身長・体重  178cm 75kg
 ポジション  サイドバック・ハーフ
 ニックネーム  イル・カピターノ(主将)
   イル・トラットーレ
キャリア
 1992-93  タジェレス
 1993-94  バンフィールド
 1994-95  バンフィールド
 1995-96  インテル
 1996-97  インテル
 1997-98  インテル
 1998-99  インテル
 1999-00  インテル
 2000-01  インテル
 2001-02  インテル
 2002-03  インテル
 2003-04  インテル
 2004-05  インテル
 2005-06  インテル
 2006-07  インテル
ハヴィエル・サネッティ
疲れを知らないサイドバック。その力強くスピードに乗ったドリブルは、少々のチャージでは止められない。ピッチの内外を問わず常に紳士的な行動を取るサネッティは、多くの人々から尊敬されているカピターノ(キャプテン)である。

兄セルヒオの影響でフットボールを始め、13歳の時にインディペンディエンテの下部組織に入る。しかし実力不足の評価を受け退団。レンガ職人である父親の仕事を手伝いながら練習を続け、18歳になると地元アマチュアクラブのタジェレスでプレーを再開。ここでの活躍が注目されてバンフィールドにスカウトされる。同年にバンフィールドに入団した選手には現在のチームメイトであるフリオ・クルスがいる。

94年のワールドカップ・アメリカ大会に敗退した直後のアルゼンチン代表は、右サイドバックの人材を求めていた。その時パサレラ監督の目に止まったのがサネッティである。以来、サネッティは代表メンバーにおいて不動の存在へと成長する。そして95年、インテルの新会長にマッシモ・モラッティが就任すると、彼が一番最初に獲得した選手がこのサネッティだった。

96年のアトランタ五輪では中心選手としてアルゼンチン代表の準優勝に貢献。ワールドカップも98年のフランス大会、2002年の韓日大会に連続出場した。98年のフランス大会では、驚くことに人命救助までしている。

ポーランドのある検事がアルゼンチン対イングランドをテレビ観戦していた。試合はサネッティのゴールで延長戦に突入し、検事は毎日定刻どおり行っていた出勤時間をずらすことになった。そして時計の針が10時を回った時、自宅外に止めてあった車が爆発。検事のスケジュールを調べていたマフィアが仕掛けた爆弾だった。後日、この検事とサネッティは手紙のやり取りを行っている。

サネッティは99年に7年間の交際期間を経てパウラ夫人と結婚した。このパウラさんとは恵まれない子供たちを支援する基金を設立している。ちなみにパウラ夫人はインテル・マガジンに自分のコーナーを連載している。

プロフィール
 生年月日  1982年2月17日
 出身地  リオ・デ・ジャネイロ
 国籍  ブラジル
 身長・体重  189cm 87kg
 ポジション  フォワード
 ニックネーム  フェノメノ・ドゥエ
   インペラトーレ(皇帝)
キャリア
 2000-01  フラメンゴ
 2001-02  フラメンゴ
 2001-02  インテル
 2001-02  フィオレンティーナ
 2002-03  パルマ
 2003-04  パルマ
 2003-04  インテル
 2004-05  インテル
 2005-06  インテル
 2006-07  インテル
アドリアーノ
相手ディフェンダーを吹き飛ばす強靭な肉体と、その長身からは想像しがたい足元のテクニック。どんな困難な局面も個人で打開できる最終兵器。それがアドリアーノ・レイテ・リベイロ。

1982年、リオ・デ・ジャネイロのスラム街に生まれる。7歳の時にフラメンゴの下部組織へ加入、本格的にフットボールを始めた。しかし翌年、銃の暴発により父親のアウミールが障害を負う。生活苦のためにフットボールを断念することも考えたが、アドリアーノは母親の励ましで練習を続けた。

2000年にはフラメンゴのトップチームに昇格する。クラブから正式な契約金を支給されると、アドリアーノは家族のために治安の良い住宅街に家を買った。今まで自分を支えてくれた家族に対する恩返しであった。フラメンゴではデビュー戦の開始5分で初ゴールを記録した。そして2001年にはインテルに移籍。プレシーズンに行われたサンチャゴ・ベルナベウ杯に出場し、レアル・マドリーのゴールに弾丸フリーキックを叩き込んだ。これは前半8分であった。

しかしシーズンが開幕し、怪我で欠場していた主力選手が戻ると、アドリアーノの出場機会は減ることになった。フィオレンティーナへのローンをもちかけられると、アドリアーノはこれを受諾した。ロナウドやトルドのアドバイスを参考にして下した決断だったという。フィオレンティーナでは背番号90を希望したが、これは父親が事故にあった年(1990年)を背負うことで、自分を奮い立たせるためだった。

その後は活躍の場をパルマに移し、セリエAでも屈指のストライカーであることを証明する働きをみせる。03-04シーズン、パルマが経営危機に陥ると、インテルは予定を繰り上げてアドリアーノを戻した。2004年7月の南米選手権ではブラジル代表の中心選手として君臨。得点王にも輝き、ブラジルを優勝へと導いた。8月、アドリアーノを悲劇が襲う。父親のアウミールが急逝したのだ。そしてこの時から、アドリアーノがゴールを決めたあとの天を指すポーズは特別なものになった。

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